Yosirin’s blog

アニメ、音楽などの評論、感想色々書いていきます。

芥川賞受賞作品のすゝめ

こんにちは。吉凛です。秋です。読書の秋です。読書をするとなんだか普段使わない脳の部分を使ったような気分になります。よって読書は人生を豊かにします(多分)。

私は昔から海外文学を読むことが多かったのですが、最近では純文学、特に芥川賞受賞作のおもしろそうな作品を漁っています。今回の記事では芥川賞受賞作をお勧めする理由とおすすめ作品をご紹介させていただきます。また、今回は普段読書をしない方、芥川賞受賞作に触れたことのない方に向けて私のお勧めする2作品をざっと紹介させていただきます。読書家の方が私のブログを拝見することがあれば「的外れな意見だ」と憤慨するかもしれませんがあくまで私の主観なので悪しからず。

 

まず私が芥川賞受賞作品をお勧めする理由は二つ。それは、ページ数が短い事純文学こそが文学において読むべきジャンルであると考えているからです。

 

①ページ数が短いと気楽に読める

ページ数が短い本って手に取りやすくないですか?海外文学では本は分厚く、ページを開いてみると字が小さい。そして前編後編ある。なんてことはザラ。日本人作家でも著名な作家はジャンル問わず作品が長い傾向にあると感じています。私は普段から読書を行っていますが物凄く長い作品を読むときは覚悟を持って挑みます。でも読書を普段しない方、ガチ勢じゃない方は厳しいと思います。そんな時の芥川賞。文庫本でページ数が150ページ以下の作品も多く、後ろに他の作品が掲載されているというケースも多いです。読んでみて合わなければ読むのをやめてもいいですし、面白くなくても早ければ2,3時間程度でも全部読めてしまうので読み切ってしまうのもアリ。後ろの作品は無視でもオーケー。本も薄いので嵩張りません。

 

②純文学こそ文学の神髄だ

「純文学」と検索するとサジェストに「つまらない」と表示され、検索すると様々な記事が見受けられます。これは私にとってとても悲しく由々しきことです。純文学と相対するジャンルとしてエンタメ小説(大衆文学)というものがあります。大衆文学が受賞する有名な賞として本屋大賞直木賞などが有名ですね。私は大衆文学が嫌いなわけではないですが、文学の真髄は純文学に宿っていると考えています。文字を読むことでしか表現できないものが私は文学として高貴で、文学たらしめる要素であると考えているからです。今回ご紹介する作品は映像化されていない作品を紹介しています。「行間を読む」「作者の真意」といった読書における重要な要素を是非芥川賞受賞作品で味わってほしいと考えています。

 

〇前置き

作品紹介に移ります。私が今まで読んだ芥川賞受賞作品から2作品選ばせていただきました。ネタバレは及びストーリーは限りなく書かないようにしますが、「蹴りたい背中」だけ少しネタバレアリです。ごめんなさい。

 

小川洋子著 妊娠カレンダー

私が大好きな作家の一人である小川洋子作品です。「博士の愛した数式」などが有名じゃないでしょうか。「妊娠カレンダー」を今回紹介する理由は、読んだ感想として、限りなく芥川賞受賞作品という感じがする、と感じたからです。実際、この作品について取り上げている記事でこんなことが書いてありました。

 

芥川賞というのは、どこか自然主義リアリズム的な意味でのリアリティーを、作品に要求するところがあるのではないか。

どこか「生きていることに伴う汚れ」というか、「体臭」がダイレクトに漂ってくるような部分がないと芥川賞はもらえない。

引用;芥川賞作品を読む|第8回 小川洋子『妊娠カレンダー』(第百四回 1990年・下半期)|重里徹也・助川幸逸郎

 

この記事を読んで、素晴らしい言語化能力だなと感じました。この作品には「悪意」という要素が多く孕まれています。特にラスト一行にはゾッとしてしまいました。小説は書き出しの部分がよくピックアップされ語られるのですが私はこの作品のラスト一行は「アルジャーノンに花束を」と同じくらい衝撃を受けました。いつかラスト一行についてのブログも書いてみたいと思います。話がそれましたがこの小説、なんと74ページ!1時間で読めちゃいます。後ろに2つ小説がありますが最悪読まなくてもいいです。是非あなたの1時間、たまには小説を読むのに使ってみましょう。

初めて見た時、吉本ばなな著のTUGUMIの表紙に似ていると思った。
カワセミ最近見ないですね。

綿矢りさ著 蹴りたい背中

19歳で芥川賞を受賞し、とても話題になった作品。ネット上では著者がお綺麗で最年少で受賞したということもあり、「過大評価」だという意見も見られますが私はその意見に断固反対させていただきます。この作品、「名作」です。(次の部分で本作品、他作品のネタバレがあります、すいません)

 

私は「金閣寺をなぜ燃やしたのか?」という永遠に議論され続けている命題に並んで「なぜ主人公は背中を蹴ったのか」という議論もされるべきだと考えるほどに語る部分が多い作品だと感じました。以上ネタバレでした。

 

学校のクラスメート、学校の風景、すべて懐かしい。20歳では書けない作品。この作品と蛇とピアスと同時受賞したらそりゃ話題になるわ。ここで私のもう蘇らないであろうと考えていた青春時代を記憶している海馬を猛烈に興奮させた情景描写を一つ引用させていただきます。

 

からからに干上がった手洗い場にたどりつき、大きな蛇口をひねった。乾いて真っ白になっているコンクリートの流しの上に、水が滝のように流れていく。(本文から引用)

 

いや、あった。あったよ。あのいろいろな色の混ざった、粉を吹いたようなコンクリ―トが、水をかけるとだんだん鮮やかになっていくあれ。みんな覚えてる?

読みやすいのと、学校が舞台ということもあって中高生におススメしたいところだが、もう青春なんて忘れちまった、という方にも是非読んでもらいたい。172ページですが、字が大きくとても読みやすい文体をしているのですらすらと読めます。

前髪で目が隠れてみえない。彼女もまた、前が見えていないのだろうか。


最後に

この2つの作品、ストーリーとして大きな出来事とかなんにも起きない。私たちの生活の一部を切り取ってそこにある無意識的な感情、情動、そんなものを言語化したものが純文学だと考えています。妊娠カレンダーにおける「悪意のない悪意」だったり。蹴りたい背中で描かれる「自覚のない性衝動」だったり。是非感じ取ってもらえれば幸いです。

 

追記

蛇にピアス」、「乳と卵」、「共喰い」などの作品もいつか紹介するかも。