Yosirin’s blog

アニメ、音楽などの評論、感想色々書いていきます。

推し、燃ゆを読みました

お久しぶりです。吉凛です。「推し、燃ゆ」という作品を読みました。感想を書きます。ガッツリネタバレします。文章の順序、推敲が雑です。今回は手短です。いつか追記するかも。

余談ですが私は文庫本派です。単行本買う人ってガチなんだろうなって思ってる。

 

巷で話題になっているのは知っていましたが(3年前の作品です)「推し」というテーマを扱っているというところにいまいち魅力がわかず、読んでいませんでした。ただ、読む本に迷っている中、BOOKOFFでたまたま見つけ、芥川賞受賞作だし読んでみるか、というノリで読みました。

というのも受賞した作家である宇佐見りんの年齢が非常に近く、綿矢りさ金原ひとみに次ぐ3番目の若さで芥川賞を受賞したとの事なので、読む際にも最初は「どれどれどんな腕前なんだ?」と同年代ながら斜めな見方をしていました。

 

まず全体の感想。

主人公である「あかり」が推しに持っている感覚然りまなざしに関しては解像度高く鮮明に語られているのに(作者はあとがきで単純でやや過剰なのではと言われているのがおもしろい)自分の肉体や外界とのかかわりについては「重い」「うまくいってない」程度の認識である点がこの作品のキモだと感じました。ある一点を凝視し続けることで盲目になってしまうというアプローチ自体は非常に陳腐であり、もうこの世界に出尽くした感を私は正直なところ感じていましたが「推しを推す」というものを用いながら純文学に落とし込んでいたという点では精彩を放っていたと思います。

あとは文学の持っている力みたいなものを再確認した作品になりましたね。実写では表現できない情緒、描写、モノローグ。ヒシヒシと感じることができました。特に解散が決まってからの描写、展開共に素晴らしかったと思います。

 

四方を囲むトイレの壁が、慌ただしい世界からあたしを切り取っている。先ほどの興奮で痙攣するように蠢いていた内臓がひとつずつ凍りついていき、背骨にまでそれが浸透してくると、やめてくれ、と思った。やめてくれ、何度も思った、何に対してかはわからない。やめてくれ、あたしから背骨を奪わないでくれ。推しがいなくなったらあたしは本当に、生きていけなくなる。あたしはあたしをあたしだと認められなくなる。冷や汗のような涙が流れていた。同時に、間抜けな音を立てて尿がこぼれ落ちる。 P111~112

解散ライブの休憩中、トイレの中でのシーン。なんてむなしいのだろうか。毎日私たちが行う排泄が祈りから生まれる涙に見えたと同時に、主人公がどんなに推しにすべてをささげてももうどうにもならない無力さも感じ取ることができる。この最後の一文に文学の持っている力を感じずにはいられなかった。

 

本小説における書き出しが「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。」であったことや、それに続く展開を見ても最終的に推しがアイドルをやめる又は脱退するという結末は予想通りであった。よって私の読んでいる時の焦点は推しの喪失によってアカリはどうなっていくのかの一点であった。

とにかくあたしは身を削って注ぎ込むしかない、と思った。推すことはあたしの生きる手立てだった。業だった。最後のライブは今あたしが持つすべてをささげようと決めた。P108

私はなぜかこの一節を読んだときに、三島由紀夫金閣寺を思い出した。※同様の事を書いているか否かネットで探してみた所、全く同じことを考えている方がかなりおりました。読んでいて私が言語化することをあきらめてしまったので割愛。

 

金閣を焼かねばならぬ?

這いつくばりながら、これがあたしの生きる姿勢だと思う。

二足歩行は向いていなかったみたいだし、当分はこれで生きようと思った。体は重かった。綿棒をひろった。​P149

人間社会に溶け込めず、人間関係を構築することが困難であった事を「這いつくばる、二足歩行が向いてなかった」と表現するのは勿論だが投げた綿棒をひろうところまで描写したことでささやかな期待を匂わせたラストになったと思う。金閣寺の主人公は「生きようと私は思った。」とはっきり述べているのと比べて意思は弱いようにみえる。金閣寺が燃えてしまったようにアカリの次の背骨に変わる「推し」はもう現れることはないだろう。おにぎり、空のペットボトルもまだ拾う事が出来ていない。まだまだ長い道のりである。それでもいつか膝を立て、上を向き、二つの足で立脚できるときがくるかもしれない。来てほしい。そう願わずにはいられない。

 

あとがき

この評論を書く前にざっとネットに落ちている評論感想諸々を読ませていただいたが結構文中の引用もみんな同じところを引用しているし感想も似ているものが多い印象を受けた。よってこの小説を読んで他の方のブログなども漁っている方にとっては特別読んでいても価値のあるものにはならなかったと思う。ここまで読んでくれた方、ありがとう。「推し、燃ゆ 金閣寺」と調べていただければ私の書きたかったことが書いてあります。また、本小説に対する良質なブログは沢山あります。是非読んでみていただきたい。